シジミはゴキゲンななめ
2017 / 04 / 27 ( Thu )
私の一頭目の盲導犬スースーと二頭目の盲導犬シジミはかなり性格が違っていました。
なので、シジミがわが家にやってきたときにはその違いにけっこう驚きました。
スースーと8年間一緒に暮らした私は、「盲導犬ってこんな感じなんだな」と勝手に思い込んでいたのですが、シジミは全然違う性格だったからです。
まあ考えてみればこれは当たり前の話で、盲導犬と言ってもあくまで個々の一頭の犬であることに変わりはありません。
犬それぞれに性格が違うのが当たり前なのです。

パートナーとしての盲導犬が替わるということは、人間で言えば仕事上のパートナーが変わる、というような感じなのだと思います。
「新しいパートナーは前任者とかなりタイプが違う人だった」というような感じです。

スースーは穏やかで繊細で、まわりに気を使うけなげな性格でした。
一方シジミは陽気でタフで、けっこう主張が強く感情がはっきり態度に出る性格です。
スースーとシジミが職場で働いている社員だとしたら、
スースーは「いつも穏やかでまわりに気を使い、言われた仕事はそつなくこなすけれど、繊細で緊張しやすくちょっと撃たれ弱いタイプ」
シジミは「陽気でタフで能力も高いが、マイペースな気分屋でやる気が出ないと仕事が少し雑になるタイプ」
といった感じです(笑)。これだけ性格が違うと、気持ち良く仕事をしてもらうための接し方もかなり違ってきます。
とはいえ、私はどちらの性格も、困ったところもかわいいところも含めてそれぞれに愛すべき性格だと思っています。
タイプは違っても、彼らは私の歩行を一所懸命サポートしてくれて、家ではいつでも私を信頼してかたわらに寄り添っていてくれる存在だからです。

盲導犬というと、一般的には
「ストイックでいつでもユーザーに忠実な優等生」というイメージを持っている方も多いと思います。
もちろんそんな完璧な優等生のような盲導犬もどこかにはいるかも知れませんが、私がこれまでにであった盲導犬たちは完璧とは言えないけれど、それぞれいろんな性格やクセを持った愛すべき犬たちでした。
仕事はちゃんとこなすけれど、それぞれに性格のクセがあり、ちょっと困ったところやおバカなところ、かわいいところがあったりするのです(笑)。

仕事をしているときの盲導犬のイメージは、制服を着て仕事をしている人間のイメージと似ていると思います。
例えば看護師さんや飛行機のキャビン・アテンダントさん、警察官や消防士の方々など制服を来ている方々も、一人ひとりは個性が違う一人の人間ですが、制服を来て仕事をしている姿には一般的なその職業のイメージというものがあります。

盲導犬に対するイメージもそういう「作られたイメージ」なのだと思います。
ハーネスをつけてきちんと仕事をしている時でも中身は一頭の犬であることに変わりはないのです。

さて、今私のパートナーであるシジミは、一言で言えば
「わかりやすい性格」です(笑)。
まわりに気を使う犬だったスースーが気持ちをあまり表情や態度に出さなかったのに比べて、シジミはそのときの気分や態度がかなりはっきり出るからです。

特にシジミは、気分が顔の表情に出るようです(笑)。
もちろん私にはシジミの表情は見えません。なのでまわりの見えている人に聞くようにしています。

シジミは、うれしい時は目がキラキラしていて、さらにゴキゲンになると口が開いてきます(笑。)
でも、機嫌が悪くなると眉間にシワが寄って来るのです^^;。
ハーネスに伝わる動きからでもある程度シジミの感情がわかります。
機嫌よく歩いているときは力が抜けていてまっすぐ軽々と歩きますが、何かあると動きが鈍くなったり、少し蛇行したりし始めます。
近くにワンちゃんがいたり、トイレに行きたくなったりしても動きが変化するのでだいたいわかります。

あれ、歩き方がちょっとへんかな、と思ったとき、まわりに家族などがいてくれれば、
「今、シジミどんな顔してる?」
と聞くことがあります。
この時に、
「眉間にシワが寄って、『ブー』という顔になってるよ(笑)」
という時は、シジミがゴキゲンななめの状態なのです^^;。

先日、ある大きな施設にシジミと一緒に行く機会がありました。
施設に入ると、そこの床はスベスベした石の床でした。
そこに入ったとたん、シジミは歩くたびにツルツルとすべりました。あまりになめらかなので爪がほとんどひっかからなかったようです。
目的の部屋はカーペットが敷いてあってすべらなかったのですが、そこにたどり着くまではシジミはすべってかなり歩きにくそうにしていました。
館内を私をガイドしてくれた方に、
「今、シジミはどんな顔をしていますか?」と聞いて見たら、
「シジミちゃん、なんだか眉間にシワが寄っているみたいです(笑)」と教えてくれました。
たぶんシジミは、
「もう、何これ?、歩きにくいじゃない!」
と不満に思っていたのだと思います(笑)。

用事がすんでやっと歩きやすい外に出たとき、私はシジミにあやまりました。
「シジミ、ごめん。歩きにくかったね。 」
するとシジミはしっぽを振りながら、
「いいよ」とばかりに私の顔をペロペロと二回なめました。

それから私たちは、「口なおし(足なおし?)」に、外の歩きやすい歩道をしばらく散歩しました。
歩きやすい歩道をしばらく歩いたら、やがてシジミの眉間のシワもとれたのでした(笑)。


☆最近読んだ本:
『シェル・コレクター』アンソニー・ドーア著
『すべての見えない光』アンソニー・ドーア著
『8割の人は自分の声がきらい』山崎広子著
『光の彼方に』レイモンド・ムーディー著
『暗幕のゲルニカ』原田マハ著
『しいちゃん日記』群ようこ著

☆最近聴いた音楽:
『ホワイト』大橋トリオ
『バラード・アンド・スタンダード・ベスト』大橋トリオ
『グレッチェン・パーラット・シュープリーム・コレクション』グレッチェン・パーラット
『アメイジング・バド・パウエル(完全版)』バド・パウエル
『モンポウ:プレリュード集』熊本マリ
『ドビュッシー:ピアノ作品集』熊本マリ
『シューベルト:ピアノソナタ 第13番・21番』高橋アキ
スポンサーサイト
22 : 02 : 13 | こんなこともありました | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
盲導犬は「かわいそう」か
2017 / 04 / 21 ( Fri )
「盲導犬はかわいそう」という声をたまに耳にすることがあります。


私もかつて、その言葉を直接他人から言われたことがあります。
それは私が盲導犬ユーザーになりたてで、一頭目の盲導犬スースーが我が家に来て一か月ばかりの頃、家族で小旅行に行ったときのことでした。
朝、ホテルの近くの公演をスースーと一緒に歩いていたとき、同じく犬を連れたご夫婦らしき二人連れとすれ違いました。お二人は私たちの方を見て何かこそこそと話していました。
そして、お互いが10メートルくらい離れたところで、奥さんらしき人が、こちらに聞こえるような大きな声で、
「かわいそう~~!」と言ったのでした。
その声は、早朝のほとんど誰もいない静かな公演の中で舟の汽笛のように響きました。
声のトーンには、自分が正しいと感じていることの優越感や、私に対するネガティブな感情が含まれているように感じました。
どうやら「かわいそう」という言葉も、スースーに対してそう思った、というよりは、「犬にかわいそうなことをしているユーザー」である私に向けられたもののようでした。
当時の私は盲導犬ユーザーになりたてで、そんな風に言われることも想像しておらず、その言葉はまるでいきなり石を投げつけられたような衝撃でした。
これはもう10年以上前のことです。

それ以来私は、ときどき「盲導犬は本当にかわいそうなのだろうか?」ということを考えるようになりました。

さて、盲導犬はなぜ「かわいそう」と言われることがあるのでしょうか?
その理由の一つは、ほとんどの人が盲導犬が外で仕事をしている姿しか見たことがないからなのだろうと思います。
仕事中の盲導犬は基本的にユーザーの支持に忠実に従います。
これが「命令に絶対服従させられている」という風に見えるのだろうと思います。
そして、いまだにかなりの人が盲導犬は家にいるときも含めて24時間このような「命令に服従している」状態にある、とイメージしてしまっているようです。
もちろん実際は、人間に仕事の時間とオフの時間があるように、盲導犬も家にいるときはハーネスをはずした「オフ」の状態です。
ハーネスは人間にとっての制服やスーツのようなものです。盲導犬もハーネスを身に着けているときは「仕事モード」になりますが、家ではそれを脱いでリラックスしています。
シジミが家でお腹を見せてひっくり返っている姿は、とても盲導犬には見えません(笑)。
こんな風にオフの時間の盲導犬は、リラックスしていて遊び好きで人なつっこいふつうの犬です(笑)。その様子はこのブログの他の記事を読んで頂ければわかると思います。記事の多くはオフの時間の、素顔の(?)盲導犬の姿が書いてあるからです。

では、仕事をしているときの盲導犬は「かわいそう」なのでしょうか?
私は仕事をする犬としての盲導犬を「かわいそう」だとは思っていません。
盲導犬はだいたい1歳から2歳になるくらいまで盲導犬としての訓練を受けます。
訓練は、決められた仕事を教えて、それができればほめることを繰り返し、「もっとほめられたい」という犬の気持ちを利用して進められます。
なので、盲導犬は仕事をこなしたときにユーザーから「グッド!」とほめられたときは、喜びを感じてうれしそうにします。

この「何か仕事をして、それがほめられるとうれしい」という感情は、人も犬もけっこう同じなのではないでしょうか。
例えば、小さな子どもはお母さんの仕事をお手伝いしてそれがほめられるとうれしそうにします。大人だって自分がした仕事を誰かにほめられれば喜びを感じるはずです。
そしてそのよろこびが仕事への作業欲につながるのだと思います。
犬が仕事をしてほめられるとうれしそうにするのも、これと同じではないかと私は思います。
もちろん人と犬は種が違うのですから、犬が人となんでも同じように感じたり考えたりするわけではありません。
でも、仕事に喜びを感じるのは人間だけ、と考えるのも人間だけを特別に考え過ぎで不自然な気がします。

獣医師で上野動物園や多摩動物園の園長も務めた増井美津子さんの著書『動物と話す本~表情、動作、声で彼らの言葉がわかる』(主婦と生活社)の中に「動物も自分の仕事に誇りを持つ」という章があります。
その中で著者は人間と暮らす動物に着いて、動物も人と同じように仕事に対する誇りと喜びを持っている、と書いています。

そうやって考えると、ユーザーである私が「盲導犬はかわいそうか否か」ということを考えることはあまり意味がないように思えます。

わたしは自分の意志で盲導犬のサポートを望んで盲導犬ユーザーになりました。
そしてそんな私の元に、盛大にしっぽを振りながらスースーもシジミもやってきてくれました。
彼らは盲導犬としての訓練を受け、最終テストに合格し、障害物をよけたり段差を知らせたりする仕事をこなすこと、そしてユーザーである私から「よしよし、グッド!」とほめられることに喜びを感じてくれています。
そして家では一頭の犬として、家族の一員として暮らしています。
盲導犬がやって来てくれたことで、外出して歩くことは私にとって「ちょっと不便な移動」から「楽しみな歩行」に変わりました。
そして盲導犬と一緒に暮らす生活は、私と家族にいつも喜びを与え続けてくれています。

なので私がするべきことは、「盲導犬はかわいそうなのか」などと頭で考えることではなく、現実に一緒に暮らしている盲導犬が、盲導犬としての仕事やユーザーとの生活に少しでも喜びや幸せを感じてもらえるように考え、それを実践することなのだと思います。

こんな風に書くのは簡単ですが(笑)、それを実践するのは実際には試行錯誤の連続です。

例えば「犬に気持ち良くきちんと仕事をしてもらう」といっても、個々に全く違う犬の性格を知った上でそれに合うようにほめたり注意したりする必要があります。
私の場合で言えばこれはスースーとシジミではずいぶん違っていて、パートナーがスースーからシジミに変わった当初はずいぶんとまどいました。
このことで頭を悩ませたりするとき、私はこれは「子育て」とか「社員教育」と似ているなあ、と良く思います(笑)。
個々の相手によってその都度どうすれば良いかが違うからです。
人間と犬を一緒にするなんて、と思う人もいるかも知れませんが、普通に思うより問題点や解決法はかなり共通しているのです。これはいつか別の記事に書くかも知れません。

生活面でも、主な健康管理については獣医さんによる定期的な診察やアドバイスがメインですが、病気とは言えない心身のストレスや緊張への対応や遊びとかスキンシップなどは、今の所あまり重要視されていないので私が自分で考える必要があります。
こういういわゆるQOL(生活の質)の向上も、ただ甘やかすというのとは違うものとして、きちんと考える必要があると思っています。

盲導犬は私たちユーザーにとって歩行をサポートしてくれるだけでなく、日常生活でもとても大事な存在です。
盲導犬ユーザーとなって11年が過ぎましたが、改めて盲導犬という存在を考えるとき、犬と言う人間とは異なる種が、私の歩行をサポートしてくれるだけでなく、いつもそばに寄り添っていてくれることで私に幸福感や喜びを与えてくれることには、いつもうれしい驚きと感謝をおぼえます。

今、パソコンに向かっている私のところにお気に入りのオモチャをくわえたシジミがやってきました。
シジミは私の背中にオモチャをグイグイ押しつけて、
「ねえ、遊ぼうよ」
と言っています。
「じゃあ、遊ぼうか!」
私が立ち上がると、シジミはブンブンしっぽを振りながら追いかけっこを始めるのでした(笑)。


☆最近読んだ本:
『羊と鋼の森』宮下奈都著
『音よ輝け』熊本マリ著
『イルカを追って 野生イルカとの交流記』ホラス・ドブズ著
『輪廻転生 驚くべき現代の神話』J・L・ホイットン著
『夜に鳴く鳥は』千早あかね著
『光の彼方に』レイモンド・ムーディ著
『動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない』日高敏隆著
『暗幕のゲルニカ』原田マハ著

☆最近聴いた音楽:
『モーツァルト ピアノ協奏曲ダイ26・27番』内だ光子 ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団
『モンポウ:プレリュード集』熊本マリ』
『バルトーク:ピアノ作品集』ゼルジ・シャーンドル
『バルトーク:ピアノ協奏曲第3番』エレーヌ・グリモー ピエール・ブーレーズ指揮 ロンドン交響楽団
『アイランズ』キング・クリムゾン
『ホワイト』大橋トリオ
『グレッチェン・パーラット シュープリーム・コレクション』グレッチェン・パーラット
『キュア』菊地成孔 ウーア
22 : 28 : 35 | 盲導犬 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
シジミのペロ・コミュニケーション
2017 / 02 / 18 ( Sat )
シジミがわが家に来てから3年がたちました。早いものです。
シジミは、外でハーネスをつけている時は、きちんと仕事をしてくれます。最近は3年前よりだいぶ落ちつきが出てきたようです。
それでも、家では相変わらずおてんばで甘えん坊です。いつもおもしろいことを沢山しでかして皆を笑わせてくれています(笑)。
前の盲導犬のスースーはどちらかといえば、そのやさしさとけなげさで皆を笑顔にしてくれていましたが、シジミは、いまだに意表をつく行動や声やしぐさで、皆をびっくりさせたり、笑わせてくれるひょうきんものです。

さて、以前の記事「ペロ・コミュニケーション」にスースーと私のコミュニケーション方法について書きましたが、最近、シジミとの間でも同じ方法でコミュニケーションがとれるようになりました。

それは、私が何かを質問すると、シジミが私の顔をすばやくペロッとなめる、というものです。
例えば散歩の途中、シジミがトイレをしたいかも、と思ったときなど私はしゃがんでシジミの顔のそばでこうたずねます。
私「シジミ、ここでオシッコしたい?」
シジミがパッと私のほうを向いて顔をすばやくペロッとなめます。これが「イエス」のサインです。
そんな時は、私はシジミのハーネスをはずしてトイレをさせます。
シジミは「イエス」でなければ反応せず、こちらを向くこともしません。。
どこかの場所へ行ってシジミがうれしそうにしていたりするときも、ちょっと聞いてみたりします。
私「シジミ、この場所が好きなの?」
すると、、シジミがすばやく振り向いて私の顔を二回ペロペロっとなめます。二回なめるのは「イエス、イエス!」という強調のサインです(笑)。

もちろん、あまり複雑なことは聞けないのですけれど、これができるとコミュニケーションが円滑になるので、シジミもこれができるようになってくれてうれしいです。

スースーが一緒に住んでいたころには、シジミはこれをすることはありませんでした。
おそらく、これができるようになるには三年間一緒に暮らす、という時間が必要だったのだろうと思います。

「シジミ、この話し、ブログに書いてもいい?」
シジミは「いいよ!」と私の鼻の頭をペロッとなめるのでした(笑)。


☆最近読んだ本:
『ラベル』ジャン・エシュノーズ著
『オール・マイ・ラビング』小路幸也著
『パラケルススの娘1-6』五代ゆう著
『「死ぬ瞬間」と死後の生(講演集)』エリザベート・キューブラー・ロス著
『時をつなぐおもちゃの犬』マイケル・モーパーゴ著
『あたしの一生』レディー・ディー著

☆最近聴いた音楽:
『クリス・シーリー、ブラッド・メルドウ』クリス・シーリー、ブラッド・メルドウ
『ミンガス』ジョニ・ミッチェル
『ボス・サイズ・ナウ』ジョニ・ミッチャル
『ベッシー・スミス・ベスト』ベッシー・スミス
『ステファン・グラッペリ・ストーリーズ』ステファン・グラッペリ
『ミラージュ』フリートウッド・マック
『コズミック・ブルースを歌う』ジャニス・ジョプリン
21 : 33 : 34 | 動物とのコミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
おいしい散歩
2017 / 02 / 08 ( Wed )
毎朝、私が目を覚まし、起き上がってふとんをたたむと、かたわらの犬用ベッドで丸くなっているシジミが気配を感じて起き上がります。
「シジミ、おはよう!」
シジミは起きた瞬間から元気いっぱいにしっぽを振っています。そしてしばらくすると、
「ザッザッ、ザッザッ」
という聞き慣れた音が聞こえ始めます。
まるで、「座敷わらし」がたたみの床をほうきではいているみたいな音です(笑)。これは何でしょうか?
その音は、シジミがお腹を見せてひっくりかえったままごきげんで振っているしっぽがたたみをこする音なのです^^。
「ああ、はいはい、お腹なでてほしいの?
私はひっくり返っているシジミの胸やお腹の所をなでてやります。するとしっぽの立てる音のリズムが高速になり、シジミは四つの脚をうれしそうにバタバタさせるのでした。
それから私たちは並んで階段を降りてリビングに向かいます。シジミのしっぽが思い切り振られて私のおしりをパンパン、と叩きます。

先日は、訓練士のMさんがフォローアップ訓練に来てくれました。
シジミはMさんが大好きなので、家に来てくれたMさんに会って子犬のように大はしゃぎです(笑)。シジミはもう4歳なので成犬なのですが、ハーネスをつけていないときはときどきこんな風に子犬みたいになります。
「シジミ、元気そうだね。あいかわらずかわいい目してるねえ(笑)。」
Mさんもシジミが大喜びしてくれてうれしそうです。

フォローアップ訓練では、私は以前から最寄駅の構造を完全に把握したいと思っていたので、シジミと一緒に階段やエスカレーター、エレベーターなどの位置を確認して頭に入れながら、駅のホームをすみずみまで歩いてホーム全体の構造を確認したのでした。
シジミもこの時はお仕事モードになってきっちり仕事をしたので、Mさんから「シジミ、グッド!」とほめられてうれしそうにしていました。
訓練が終わってMさんの車に
乗ると、後部のスペースに訓練中の二頭の訓練犬がいました。ゴールデンレトリバーのオス
のD君とメスのBちゃんです。二頭とも、私が後部座席に座ると鼻づらを寄せてきたのであいさつをしました。シジミもお友達に会えてうれしそうにしています。
彼らが盲導犬になったら、またいつかどこかで会えるでしょうか。

最近、いつも行く川べりの散歩では、シジミは快調に歩きます。特に川べりは車も通らない直線なので、私が歩けるマックスの速さで風を切って歩きます。これくらいの速さだと、スキーで緩斜面を滑る時くらいのスピード感が味わえます。
私たち視覚障害者は、ふだんの歩行で速く歩くことはほとんどないので、これくらいのスピード感でもちょっと爽快です^^。
このルートは途中2-3箇所に車止めがあるはずなのですが、シジミがスムーズに小走りで歩くので、車止めがどこにあったのかがわからないくらいです。

でも、帰りのルートの川べりでは、めずらしく何度も立ち止まって下を向いていました。どうしたのだろう、と思っていたのですが、やがて理由がわかりました。
そのルートは川に向かって家の玄関が何軒も並んでおり、前日の節分にまかれた豆が落ちていたのでした(笑)。シジミにとっては今日は川べりが妙においしそうな豆の匂いがただよっていたのだと思います。

散歩の返り、玄関の前の階段を上がる時、私が玄関の鍵を明けているスキにちょっと顔を下げたシジミが、「ポリポリ」と音をさせました。
うちでも前日に豆まきをしたので、外の階段に豆が落ちていたのです。
「あ、こら、豆食べたな~!」と言ってももう遅く、シジミはしっぽを振っています^^;。
シジミにとって節分の翌日は「おいしい散歩」なのでした(笑)。


☆最近読んだ本:
『東京バンドワゴン』小路幸也著
『動物と話す本 表情、動作、声で彼らの言葉がわかる』増井美津子著
『走れ、風のように』マイケル・モーパーゴ著
『アンモナイトの森で 少女さちとヒグマの物語』市川洋介・作 水野プリン・絵
『ペンギン鉄道なくしもの係り』名取佐和子著
『蜜蜂と遠雷』恩田陸著

☆最近聴いた音楽:
『バルトーク ピアノ協奏曲第3番』ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン ピエール・ブーレーズ四季ロンドン交響楽団
『モーツァルト ピアノ協奏曲第18番・19番』ウラディミール・アシュケナージ ピアノ・指揮 フィルハーモニア管弦楽団
モーツァルト 交響曲第40番・41番』オットー・クレンペラー四季 フィルハーモニア管弦楽団
『グレゴリアン・チャント・ベスト』シュロス修道院合唱団
『クレオール・ムーン』ドクター・ジョン
『クリス・シーリー、ブラッド・メルドウ』クリス・シーリー、ブラッド・メルドウ
『ミリアド』ゲーリー・オコナー
『クロージング・タイム』トム・ウェイツ
21 : 28 : 59 | こんなこともありました | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
駅ホームからの転落事故につながる「現在位置の錯覚」
2016 / 11 / 26 ( Sat )
前の記事で駅ホームからの転落事故の原因となる「現在位置の錯覚」のことを少し書きましたが、これについてもう少しくわしく書いてみます。
これは、視覚障害者にとってはよくある錯覚なのですが、見えている人にとってはあまりなじみがないのではないかと思います。

もちろん、「視覚障害者」といっても見え方は弱視から全盲までさまざまです。
なのでこれから私が書く「現在位置の錯覚」についての説明は、ほぼ全盲で視力を使わないで歩行する私の状況をもとに
説明したものであり、視覚障害者すべてに必ずしもあてはまるものではないことを予めお断りしておきます。

それでも、「現在位置の錯覚」は視覚障害者の駅ホームからの転落事故の要因であることは確かなので、なぜそれが起こるのかについて書いてみます。

●視覚障害者の「脳内」マップ」について
視覚障害者は歩いているとき、視覚情報の不足を白杖や靴底の感触などの触覚や周囲の音などの聴覚情報、匂いなどの嗅覚情報で補いながら状況を判断して歩いています。
そして良く歩いているルートや使い慣れた駅などでは、何度もそこを通るうちに、触覚や聴覚、嗅覚の記憶にもとづいた「脳内マップ」が頭の中に作り上げられてゆきます。
私の頭の中には、触覚や音、匂いなどによる目印になるポイントが配置された地図があり、よく知っているルートを歩く時には、それぞれのポイントでの聞こえてくる音や漂ってくる匂い、靴底の感触などでマップ上の位置を確認しながら移動するのです。
それは例えば、
「このお店の音がしたから横断歩道まであと20歩くらいだな」とか、
「豆腐屋さんのおからの匂いがするからここで右だな」とか、
「信号音が近づいてきたからもうすぐ改札だな」とか、そんな感じです。

この「脳内マップ」は、視覚障害者の日常で普通に使われているものです。
たとえば私は自宅の中では白杖を使わず家族と同じように移動することができます。
これは私が住み慣れた家の内部の「脳内マップ」を使って移動しているからです。
この「脳内マップ」は家だけでなく、通い慣れた駅でも使われます。
なので私はいつも使う最寄駅では、「脳内マップ」を使って、見えていなくても改札を抜けてからホームへ向かう下り階段までの方向や距離、階段を降りてからいつも乗車する位置までを脳内でイメージすることができます。
そのため、改札を抜けてから乗車位置まで、視覚で確認できなくても、比較的スムーズにたどり着くことができるのです。
これは私が最寄駅に何度も通ううちにこの駅の「脳内マップ」が自然に私の頭の中に作られたからです。
当たり前ですが、初めて訪れた駅では改札を抜けてからホームまでのルートがどうなっているかはイメージすることはできません。誘導ブロックなどを白杖で見つけてそれに沿って歩くか、駅員さんなどに誘導してもらうか、盲導犬と一緒なら犬に階段を見つけてもらうしかありません。

実は、見えている人も「脳内マップは使っています。
例えば、見えている人なら通い慣れた駅の構内のイメージを実際にそこにいなくても、頭の中に思い浮かべられるはずです。それは視覚情報も含まれた「脳内マップ」です。
ただし、見えている人は実際の駅では視力を使って見ているために「脳内マップ」を使っていることを意識していないだけなのです。
それ以外でも、例えば初めて行ったときに迷った場所でも二度目からは前よりスムーズに辿りつけるようになるのは、そこまでの「脳内マップ」が頭の中に作られたからです。

このように「脳内マップ」は人間が効率よく行動するために脳が自動的に作り上げ、必要に応じて使われているものです。
「脳内マップ」を使うという天においては、見えていても見えていなくても人間に共通した行動です。。
ただ、視覚情報をえることができない視覚障害者は視覚情報に頼らずに「脳内マップ」を使っている点が違います。

●「脳内マップ」と実際の位置がずれてしまう「現在位置の錯覚」による転落事故
このように、「脳内マップ」は視覚障害者にとって、効率的に行動するために便利なものですが、これが逆にホームからの転落事故の要因になってしまうことがあります。
それは、駅のホーム上の「脳内マップ」での位置と、実際のホーム上での現在位置が何らかの理由で「ずれて」しまった場合です。

例えば、通い慣れた駅で下車した時に、降りた位置がいつもよりに両分前だったとします。このように降りる位置がずれてしまうことはあまりなじみのない駅から乗車した時などによく起こることです。
この場合、「脳内マップ」での位置より実際の現在位置がに両分前にずれてしまっています。
このような時、見えている人ならば、降りた瞬間にいつもと降りた位置が違うことに瞬時に気づきます。
でも、見えていなければいつもと違う位置に降りたことを目で確認できないので、柱や壁に突き当たるなど、位置の違いを感じる大きな刺激がない限りこの位置のずれには簡単には気づくことができません。
そしてに両分前にずれたことでいつも使っている階段より前に出ていたとします。
その場合、「脳内マップ」に従えばしばらく前進すれば階段があるはずなので、そのまま先に階段があると思い込んで直進してしまうことになります。
でも実際には降車した時点で会談は通り越しており、その先はホームの端しかありません。
そして、「あれ?階段はもう少し先だったかな?」などと思いながらも直進してしまい、その先のホームの端に柵がなければ、普通に歩いているつもりでホームの端を踏み越えた瞬間に転落してしまうことになります。

これが、「脳内マップ」とじっさいの位置のずれ、つまり「現在位置の錯覚」によって起こる転落事故です。
これは、駅のホームからの転落事故の一つのパターンではないかと思います。

●「現在位置の錯覚」はなぜ起きてしまうのか
「現在位置の錯覚」は、上にも書いたように、視覚障害者が「脳内マップ」と実際の現在位置との「ずれ」に簡単には気づくことができないことから起こります。
その「ずれ」に気づけないのは、自分の周囲の空間の情報をリアルタイムに認識できる「視力」が使えないからです。
もう一つの理由は、「脳内マップ」と現実の位置が「ずれて」いるときに、現実の触覚や聴覚から「脳内マップ」の位置とは違う、という情報が多少入力されても、よほどのことがない限り「脳内マップ」が優先されてしまう、というものです。
これには、たぶん「脳内マップ」というものの性質がかかわってくると思いますこれはいつか別の記事で書いてみようと思います。


☆最近読んだ本:
『人形使いの謎』バルスツェック著
『<刑務所>で盲導犬を育てる』大塚敦子著
『チューズデイに会うまで』ルイス・モンタバン著
『創薬探偵から祝福を』喜多喜久著
『人間、動物、機械ーテクノアニミズム』奥の卓司著

☆最近聴いた音楽:
『ホロビッツ・ショパン・アルバム全集』ウラDィミール・ホロビッツ
『ワルツ・フォー・デビイ』ビル・エバンス、モニカ・ゼータルンド
『ストーリーズ』マサヨシ・フジタ
『シチリアーナ~リュートのためのアリア』つのだたかし
『プレリュード』村治佳織
『モンポウ:ピアノ作品集「秘密」』熊本マリ
23 : 14 : 31 | 視覚障害と感覚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム | 次のページ>>